個人的闘いを捨てる 4

些細な事柄のコントロールに関心をもたなくなると、健康や家計のやりくりなど生活上の決定がすべて穏やかな平常心で行いやすくなり、本当の意味で自分を大事にする決断が下せるようになるのです。


まわりの人々家族、友人、恋人、ペット、同僚……そして自分の肉体。


これらをあるがままに受け入れ、共にいようと全身を傾けます。


そのために妻や夫や友だちを新しくする必要はありません。


コミットすること(全身全霊を傾けること)が他人のエゴを変えたり、人生の問題を解決するわけではありませんが、全身を傾けて相手に集中すること自体がわたしたちを新しく変革してくれるのです。


だからといって何も絶対変えないというわけではありませんし、変えないことが変えることよりもスピリチュアルだということもありません。


ただ、永遠の命に目が向けられるようになると、目の前でくるくると変わる出来事にいちいちついてまわらなくなるということなのです。


その上で何かを変えるとしたら、それはよりシンプルな方向へ向かうはずです。

個人的闘いを捨てる 3

キリスト、ガンジー、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアといった偉大な人々が、その道を進めば自らの命が危ぶまれるにもかかわらず、その歩を止めなかったのはなぜか、ということです。


今だったら自虐的だと批判されそうですが、彼らは決して好んで自虐的な境遇に身を置いたわけでも狂っていたわけでもありません。


十分自覚しながら、その道をまっとうしたのです。


それは断じてスピリチュアルな道を生きると決め、世俗の紆余曲折にとんちゃくせず、抗がわず、淡々と道を踏んでいったからだと思えるのです。


自分の人生をあれこれ操作しようとしなくなることは精神の進化のよい目安となります。


それをやめることでわたしたちはまわりとのつながりが見えるようになるのです。


結局そのつながりは初めから存在していたもの。


今まではただ気づかなかっただけなのです。


わたしたちも人生を手放すと、危険は増すのではなくむしろ減るのです。

個人的闘いを捨てる 2

意味はあなたの心が意思するところにあります。


自覚できないほど深い心の奥から流れ出す選択の根・・・。


それがもし、命の一体感を求めているのなら、あなたの言動はそれに基づいたものに自然となっていくはずです。


一体感への願いがより強くなれば、まわりの人たち、特に親近者とのあいだに感じられるつながりもより深くなっていくでしょう。


人の痛みが我がことのように感じられるとき、そこには分け隔てなく愛情をもって接する以外の選択肢はなくなってしまうのです。


子供に対して骨身を惜しまず捧げる親も、どうしてこんなにできてしまうのか、甘やかし過ぎているのではと反省しつつ、自然とわき出る愛情は押さえることのほうが苦痛だと感じるものなのです。


こうした態度を現代社会における個別志向、分裂志向は危険だ、病気だ、と批判するでしょう。


それでも他の人と自分とのあいだに隔たりを見ない心にとって、その人に最もかなうように自ら動いてしまうのは当たり前なのです。


しかし、傍から見ているだけの人には決してそれはわからないでしょうね。


スピリチュアルな道を堅実に歩んでいくと、だんだんと納得できるようになったことがあります。

個人的闘いを捨てる

人のアラ探しをして何に対しても批判的な考えというのはベタベタしていて重たい感じ。


逆に人をまるごととらえる見方というのはサラーッとしていて軽やかに動く感じです。


ひらかれた精神というのは"べからず集"を持ち歩きません。


その肌ざわりはなめらかで、その目標はとにかく目の前に現われたことに楽にまるごとであたる、ということです。


わたしたちは言うことなすこと、自ら選んでいることは間違いありません。


が、内的成長に伴ってこの選択ももちろん変化していきます。


ある時期に自ら下した決定。


そこにもう一度戻れたとしても、中身のレベルが同じであれば、きっと同じ選択同じ決定をすることでしょう。


目覚ましを止めたまま布団にもどろうか、何を着ようか、どこで食べようか……。


朝起きてから夜、寝るまでのあいだの無数の決定と選択。


今のあなたは大分自分を見る目が備わってきて、日々起きるさまざまな決定の瞬間が来ては去り、生まれては消えるのを余裕をもって眺めることさえ可能かもしれません。


いつでもこれとは違った選択ができたと思う一方で、世の中の混沌を知っているあなたは静かに見守っていれば次々と選択の瞬間が生まれては消えてゆくのも知っています。


さらにこれらの選択にあまり深い意味がないことにも気づいているはず。

他人と比較しないこと

何かを達成したとしても、すぐに新たな比較の対象が次々と現われるだけなのです。


"よりいい車"が欲しい、手に入れる。


しかし、それはいつまで"よりいい車"なのでしょう?


恋人でも、自分の肉体でも"人よりもっと"という状態は、一度手に入れてもいずれそうでなくなるのがこの世の定めなのです。


頭の柔軟性を欠くと、記憶にある怖れや渇望にとらわれ、わたしたちは過去の反応を繰り返し体験することになります。


また、人にしろ食べ物にしろ、好き嫌い、善い、悪いを決めてかかってしまえば今、目前にある事実、すべてを包み込む静かな一瞬を自ら遠ざけてしまうことになります。


頭は心への入り口。


そこから美しい楽園までの道が開けるか、詰まっているかは頭の使いようにかかっているといえるでしょう。


自分が考えることを怖れるには及びません。


なぜって、考えというのは自分の頭の産物だから、その方向性や中身はいつでも取り替え可能です。

幸福へのカギ 2

それに対してわれわれの忍耐力はもっと低く、許容量も狭く、すぐ「もう、限界!」と言って思うような結果が得られないとさっさと"イチ抜けた"をしたくなるのが実情です。


心が乱れるのはたいていの場合、他人をコントロールしようとする瞬間だということに気づいてください。


多くの人は人生というパズルに、欠けている部分をあてはめようとします。


けれど、今、ピタッとはまっているようにみえる断片でも刻々と形を変え、はがれてゆくのです。


そして新しい断片が次々と現われ、形は変わり、日々、新たになってゆく、これが真実。


キリスト・仏陀……など、優れたスピリチュアル指導者の人生に対するアプローチは完全に近いものだとされています。


しかし、彼らとていつも"うまくいった"一生を送ったわけではありません。


ましてやわたしたちはこの肉体の習性と心の癖とをもって生まれ、生きているのです。


思い描く通りにことが運ぶわけがないじゃないですか。


それに、よくよく考えてみてください。


本当にもっとお金が欲しいですか?


では、だれに比べてですか?


本当に自分の子供が思い通りに育って欲しいと思いますか?


それならば、その子は人生のどの部分をあなたの思い通りに生き、どの部分を自分で決めたらいいのでしょうか?


最高の経済状態、健康状態、最高のロマンス、セックスを、すべての人が手に入れることなどあり得ません。


なぜならこれらはいずれも他の人との比較においてのみ存在するからです。


幸福へのカギ

リラックスして柔軟であればわたしたちは充足感を感じます。


かたくなでいるときは不満が多くなります。


つまり、幸福へのカギは、人々を思い通りに動かしたいという要求を手放すことにあるのです。


2歳児をコントロールしようとしても不可能でしょう?


下痢をコントロールしようとしても不可能でしょう?


どんな偉い人、どんな尊い人であっても……。


だから、事実は単純なんです。


みなさんもわたしも、人生においてコントロールできることはこれっぽっちもない、ということです。


だから新年の誓いで断つことに決めた、酒、たばこ、甘いものへの欲求が断てないのです。


ましてや他人のことを思い通りにできるなど、考えるほうが滑稽だといわざるを得ません。


過去のスピリチュアルな指導者で偉大だった人たちはだれも結末をコントロールしようとしませんでした。


たとえばキリストは弟子たちの目を一時間開けさせておくことさえできなかったといわれています。


こういう人々の優れたところはたとえ目の前の結果が絶望的だったとしても、一貫して弟子たちとまるごと向き合い、真摯に指導し続けたということです。

ババ食い大蛇 3

「さあ、その棺桶をひきあげて下さい。」


若者が、よいしょとひきあげると、


「さあ、それを背負って下さい。家にもどりましょう。」


若者はすっかりあきらめて、ええ、どうでもなれと思いながら、棺桶を背負って歩きました。


娘の部屋まで棺桶を運んでくると、


「もう用事はないから、あなたはさっきの部屋にゆっくり休んで下さい」


と娘がいいました。


「はい。」


若者はさっきの部屋に休みましたが、どうも隣りの娘の部屋が気になって眠れません。


そこでまた、すかし窓からのぞいてみました。


「あっ。」


娘はふたたび大蛇の姿になっているのです。


シュッ、シュッ、シュッ

シュッ、シュッ、シュッ

フウッ、フウッ、フウッ


奇怪な音が聞こえはじめました。


そして、太い鉄棒で棺桶のふたをこじあけて、中の死体をぴきずりだしました。


見ると、それは白髪ババの死体で、目をむいて口を大きくあいて死んでいます。


「こらまア、どうなることか。」


若者は背すじがこおりながらも、こわいもの見たさで、じっと見ていました。


すると、大蛇がシュッ、シュッ、シュッとうなりながら、出刃包丁を持ってババの死体を切りさいて、ぼきっともいで、食いだしたのです。


大蛇は血のりで真赤になりながら、さもうまそうに食うのです。


「うんにゃ、こアたいへんじゃ。今度こそ逃げんとならん。二階から落ちて砕けても、大蛇に食わるっよいか、ましじゃ。」


こう思った若者が、二階からとびおりようとした瞬間、


「お待ちなさい」


とひと声、若者のからだは後からしっかりと抱きすくめられました。


「何をするか、放せ。」


「まあ待ちなさい。ここまで勇気をふるってきたのはあなた一人です。度胸をすえなさい。わたしは人間です。大蛇の姿はあれは面です。


ほア、このとおりの面です。さあ、あなたもババを食べてみなさい。」


それから娘は若者をとなりの部屋につれて行きました。出刃包丁でババの腕を切りとって、


「さあ、食べなさい」


とさしだしたのです。


「ええ、毒にはなるまい」


と若者は度胸をすえて、ババの腕に食らいつきました。


ところが、どうでしょう。そのおいしいこと。非常に念をいれて作ったお菓子でした。


「ほほほほほ。あっぱれ、あっぱれ。どうです。わかりましたか。あなたの度胸をためしてみたのです。


あなたの度胸にはほれました。どうかわたしの養子になってこの家を守って下さい。」


そこで、若者はめでたく娘の養子となって、その家を盛り立てて、よか世をくらしたということです。


これが屋久島ツアーで人気の屋久島の民話、「ババ食い大蛇」です。


ババ食い大蛇 2

その夜、娘が来て、


「あなたはお部屋に休んで下さい。わたしはつぎの部屋に休みます。まだ同じ部屋に休むことはできません」


ということでした。


その晩の夜中ごろ、


シュッ、シュッ、シュッ

シュッ、シュッ、シュッ

フウッ、フウッ、フウッ


という音が聞こえてきました。


「何の音じゃろうか」


と思っていると、またその音が聞こえてきます。


いつまでも音がつづくので、若者はいっこうに眠れません。


音は隣りの部屋からのようです。


若者は、すかし窓からそっとのぞいてみました。


「あっ。」


若者は思わず、声を立てました。


そこには、真赤な口が耳までさけた大蛇が、眼の玉をギョロギョロ光らせて坐っているのです。


「ンニャ、ンニャ、こアたいへんじゃ。あん娘は大蛇じゃった。ぐずぐずして必ればかまれてしもうど。


逃げるにしても戸はしめられてあかん。しかたはなか。よし窓からとびおりよう」


と若者が二階の手すりに手をかけたとき、


「これ、お待ちなさい」


と声がかかりました。


「えっ。」


若者がふり返ったとき、戸がさっとあいて、娘がはいってきました。


「何をなされますか。わたしはこのとおり人間です。


あなたはわたしのいうことを聞いてそのとおりなさって下さい。そしたらあなたを養子にしましょう。」


見ると、娘はやっぱり娘の姿です。昼間と同じ美しいりっぱな娘です。若者は、


「よし、もうどうにでもなれ」


と思っていると、


「あなたはこれから私と手なんで、墓場に行きましょう。逃げると承知しませんど。」


「はい。」


そこで、若者は娘と墓場に行きました。


墓場には、きょう葬式があったような新しい墓がありました。その前に行って娘がいいました。


「さあ、この墓を掘って下さい。」


若者は、掘らなければ娘が大蛇になっておそいかかってくるような気がして、しかたなしに掘りました。


すると、死体をいれた棺桶が出てきました。

ババ食い大蛇

「ババ食い大蛇」という昔話があります。


むかし、むかし。少し横着な若者がぶらぶら歩いていました。ちょうど通りかかったところに、


「養子入用」


と書いた高札がたっていました。


「これはおもしろい。ここにはいってみよう。」


若者はその家にはいって行きました。


「ごらん下さい。木戸に高札がありますが、あのとおりでしょうか。」


すると、主人らしい年よりが出てきていいました。


「はい。あのとおりです。しかし、何人来てもここにとどまっている人はいません。すぐみんな出ていってしまいます。でも、あんたの度胸しだいです。」


「そうですか。ほいなア、どうかよろしく。ところで娘さんはどこですか。いずれ養子ときまればいっしょになるでしょうが、まあ一目見せて下さらんか。」


「はい。おっしゃるとあり、ごもっともなことです。おい、娘、こっちにきなさい。」


「はい。」


娘が現われました。それはそれはきれいな、りっぱな娘でした。


「ンニャ、この娘なら、おれも少々の巣自由まではがまんしてやろう。」


若者はこう思いました。


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