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      <title>チョコレート王国</title>
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      <description>ベルギーチョコレートの虜</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>アマガエルが鳴くとなぜ雨が降る？　その2</title>
         <description>次に、亡くなった動物学者の高島春雄氏が紹介している話ですが・・・


ある人が日本の各地3、4カ所で別々に調べたものによると、アマガエルが鳴いてから30時間以内に雨の降った率は、平均して62%。


所によっては70%にも達していたそうです。


この説によれば、絶対確実とはいえないが、ほぼ3分の2の確率はあることになります。


・・・また、アマガエルには、雨天の時や、どんより曇って湿度の高い時、樹の上など高い所へ上がっていく性質があります。


雨が降るということは、気圧に変化が起こる、つまり気圧が下がるということで・・・


他のヒキガエルやトノサマガエルとは多少ちがっているからだの構造によって、気圧や湿度の変化を敏感にキャッチする能力が、アマガエルにはあるわけです。


要するに、アマガエルが鳴いたり、その姿を見かける時は雨が降りやすい・・・


・・・こういうことになりそうです。
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         <pubDate>Sun, 22 Jan 2012 17:53:21 +0900</pubDate>
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         <title>アマガエルが鳴くとなぜ雨が降る？</title>
         <description>緑色の背中に黒い斑点を持ち、お腹の白いアマガエルは、ちょっとかわいらしくて風情のある動物ですよね。


しかし、近ごろ都会ではほとんど姿を見かけなくなりました。


昔から「アマガエルが鳴くと雨になる」といわれますが・・・


これはなかなかおもしろい問題です。


厳密な学問的研究というほどのものではありませんが、気象学や動物学を専攻する学者の随筆にいろいろな説が出ていますので、ご紹介しましょう。


まずお天気博士として有名だった藤原咲平博士の説ですが・・・


それによると、アマガエルが鳴いて雨となる確率は2分の1だといいます。


ところが、日本各地の5月から8月までに雨の降る日数は約2分の1ですから、アマガエルが毎日鳴いたとして、その当たる率は2分の1ということになり・・・


これでは鳴き声から雨を予想することは無理ということになります。

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         <pubDate>Sun, 11 Dec 2011 17:52:36 +0900</pubDate>
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         <title>春になると眠くなるのはなぜ？</title>
         <description>まさに「春眠暁を覚えず」で、春はまことに眠り心地のよい季節ですが・・・


これはなぜなのでしょう。


まず、気候が暖かくなると、からだの各器官が活発に働くようになり、新陳代謝も盛んになるのでビタミン、その中でもaが、冬の間よりもたくさん必要になってきます。


お米ばかり食べてお腹をふくらませていた以前の日本人は、ビタミン不足で、春になると眠くてどうにもならなかったわけです。


また日照時間が長くなるにつれて、どうしても余計に働くようになります。


さらに性ホルモンの分泌も多くなるため、なんとなく浮き浮きしてエネルギーを消費するので、それらが重なって眠くなるのです。


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         <pubDate>Sat, 12 Nov 2011 17:52:09 +0900</pubDate>
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         <title>不完全ゆえに美しい　2</title>
         <description>完全なリードというものはありません。


そう考えて腹をくくろうではないでしょうか。


最重要なことは、わたしたちの部下、そして我が子に潜んでいる人間力への信頼です。


彼、彼女には、もっと人間力がある、間違いなくです。


現状が精いっぱいだなどと、どうして言えようか。


いま現れているのはその一部にすぎないのです。


そしてもう一つ、彼、彼女も、燃えて、りっぱに生きていきたいと願っていることへの信頼です。


組革研では大人が、チームワーク学校では子どもたちが、はっきりとそれを立証する場面に、私はたびたび接しています。


私もそれまで、自分の子どもやその友だち、あるいは授業参観や文化祭、運動会などを通じて、親として、子どもの力を知っているつもりでいました。


しかし、チームワーク学校にかかわってから、彼、彼女に秘められた力は、とてもとてもそんな程度ではないということを知りました。


目の前の彼、彼女らは、いま仮の姿をしているにすぎません。


その人間力を目いっぱい出させ、自己実現させねば、彼、彼女がかわいそうではないでしょうか。


その可能性を信じて夢を持てることが、リーダーの、教師の、親の最低の条件であると思います。

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         <pubDate>Sun, 16 Oct 2011 11:36:59 +0900</pubDate>
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         <title>有意な占星術変数</title>
         <description><![CDATA[
ミッチェルソンたち、十一のもっとも有意な占星術変数をたくみに分析したそうです。


どれだけよくRDSを予測しているかによって、各変数は「重みづけられた」。


重みづけられた要因は、RDSの確率を示すために「予測プロフィール」をつくり上げるようにまとめられました。


RDS赤ちゃんの誕生チャートに存在する傾向のあった十一変数が次の表に示されています。


赤ちゃんことに、誕生チャートに存在する各変数の重みが加えられると、点の高いほどRDSの起こる確率は高いでしょう。


この指標が145名の正常な赤ちゃんで検証され、64%が正しく正常と分類され、36%がまちがってRDSと分類されました。


この指標が122名のRDSの赤ちゃんに対して検証されたときには、74四%が正しくRDSと分類されこ六%がまちがって正常と分類されました。


したがって、全体では、約69%が正しく分類され、31%がまちがって分類されたことになります。


もしこれらの数値が信じられるのであれば、医学の実践にはかなり重要であって、不必要な死が防止されるでしょう。


＞＞話題の<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">占いはこちら</a>

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         <pubDate>Mon, 12 Sep 2011 11:31:14 +0900</pubDate>
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         <title>不完全ゆえに美しい</title>
         <description>上長は仕事のリーダーであり、教師は勉強のリーダーであり、親は生活のリーダーです。


リーダーが人格者であり、能力があるに越したことはありませんが、私は、あまりそれを気にしないほうがよいと思います。


あまり立派な人の下では、部下や子どもは息がつまる。


不十分さ、不完全さはむしろ、人びとに魅力として映ります。


本阿弥光悦の「茶碗」は不完全ゆえに美しいもの。


彼は、満足なものを喜ぼず、傷のないものは捨てたといいます。


弱点やすきを見せない人には、部下も子どももついてはいけない。


わかっているような顔をしないで、「今これで困っているんだ」と、部下に、子どもに訴えることです。


同様に、リードも不完全でよいのです。


リードもやはり、一発必中の&quot;ミサイル型&quot;ではなく、&quot;高射砲型&quot;です。


それしかできないのです。

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         <pubDate>Sat, 03 Sep 2011 11:36:31 +0900</pubDate>
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         <title>「うちの子にかぎって・・・」　2</title>
         <description>夫婦げんかの中身など、ほとんど知られていると思ったほうがよいでしょう。


・・・まさか、子どもたちが親を見る努力をしているとは思えません。


さて、どうすれば下をよく見られるかということになります。


問題があるときには比較的見やすいのですが、困るのはうまくいっているときです。


私は、たとえば組革研では、直属部下にあたるブロックリーダーやチームリーダーが今日どんなであったか、その場面場面での彼の行動の情景を、食事のつど思い出すことにしています。


すぐ思い出せれば是、そうでない場合は非としています。


同様に、部下のリーダーがどれほどその部下を見ているかを知るために、定期的にメンバーの様子を聞くことにしています。


すぐ具体的に答えられればよし、そうでない場合には、次の機会までに全メンバーについて聞かせてくれと、釘を刺すことにしています。


そのためのフォーマットも用意してあるのです。

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         <pubDate>Sat, 20 Aug 2011 11:36:00 +0900</pubDate>
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         <title>「うちの子にかぎって・・・」</title>
         <description>誠に不都合なことに、わたしたちは、上を見ることはわけなくできますが、下を見ることは非常に不得手らしいのです。


上を見るのは、努力せずして自ずとできてしまうようです。


その逆に、下を見るには、相当な努力が要るらしいのです。


まるで、上に引力があって下に斥力があるかの如くです。


誰でもが、上のことは実によく知っています。


その反対に下のことは、わかっているつもりでいたら実は何にもわかっていなかった、というような経験をしていると思います。


我が子ともなればさらにそれは著しく、世間を騒がせた子どもの親の決まり文句に、「うちの子にかぎって・・・」というのがあります。


ところが、子どものほうは親の状態を実によく知っています。


チームワーク学校で私はよく、子どもたちが寝静まったころを見計らって、夜中に彼らのテントの周りをうろつくことがあります。


すると、寝つけない子どもどうしの小声の会話が耳に入ってきます。

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         <pubDate>Fri, 15 Jul 2011 11:34:47 +0900</pubDate>
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         <title>個人的闘いを捨てる　6</title>
         <description>近所にはドリームホームを手に入れた夫妻がいました。


しかし、その娘さんが近所の子供たちと破滅的な関係に陥りそうになった時、彼らはそれを手放し、別の、理想とはほど遠い地区の普通の家に引っ越していったのです。


こうした対応を余儀無くされる人々の数があまり多くないことはむしろ驚異的です。


ほとんどの場合、人生をひっくりかえすほどの転換を求められることはないのでしょうか。


わたしたちはこの日々、この人生を受け入れて生きなければなりません。


絶え間なくキバをむき、ツメを立てて自分の欲しいものを追いかけるように生きるのではなく・・・。


与えられなかったことに意識の焦点を当てるのではなく・・・


今、現在ある状態をつぶさに見て、そこにあるシンとした安らぎにやさしく身をゆだねてみることです。

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         <pubDate>Mon, 06 Jun 2011 18:18:28 +0900</pubDate>
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         <title>個人的闘いを捨てる　5</title>
         <description>決断を下す手助けとしてこんなことを問いかけてみてください。


1．わたしの人生を最もシンプルにする選択肢はどれだろうか？


2．心を安らかに保つための優先順位は？


3．この言動は自分が大事にしている人たちをより深く慈しむことに寄与するだろうか？


4．葛藤があるときは、待とう。


5．後でいちばんスッキリするのは(後悔しないのは)どれ？


・・・体重が気になる？減量すればいい。


気にならないなら放っておけばいい。


ただそれだけのことです。


今の職場よりもっと心穏やかで働けるところがあれば賃金が安くなっても転職すればいいのです。


逆に今よりもっとペイがいいところに移ることで生活全般がよりシンプルになるのだったら、そうすればいいでしょう。


ただ、それだけのことなのです。


わたしたち夫婦もこんな選択のし直しをしてきました。


かつて、わたしの収入の半分は地方講演によるものでしたが、頻繁に家を空け移動し続ける生活が子供たちに悪影響を及ぼしていると気づいた時、それらの活動を一切やめました。

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         <pubDate>Thu, 26 May 2011 18:17:18 +0900</pubDate>
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         <title>個人的闘いを捨てる　4</title>
         <description>些細な事柄のコントロールに関心をもたなくなると、健康や家計のやりくりなど生活上の決定がすべて穏やかな平常心で行いやすくなり、本当の意味で自分を大事にする決断が下せるようになるのです。


まわりの人々家族、友人、恋人、ペット、同僚……そして自分の肉体。


これらをあるがままに受け入れ、共にいようと全身を傾けます。


そのために妻や夫や友だちを新しくする必要はありません。


コミットすること(全身全霊を傾けること)が他人のエゴを変えたり、人生の問題を解決するわけではありませんが、全身を傾けて相手に集中すること自体がわたしたちを新しく変革してくれるのです。


だからといって何も絶対変えないというわけではありませんし、変えないことが変えることよりもスピリチュアルだということもありません。


ただ、永遠の命に目が向けられるようになると、目の前でくるくると変わる出来事にいちいちついてまわらなくなるということなのです。


その上で何かを変えるとしたら、それはよりシンプルな方向へ向かうはずです。

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         <pubDate>Wed, 06 Apr 2011 18:16:26 +0900</pubDate>
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         <title>個人的闘いを捨てる　3</title>
         <description>キリスト、ガンジー、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアといった偉大な人々が、その道を進めば自らの命が危ぶまれるにもかかわらず、その歩を止めなかったのはなぜか、ということです。


今だったら自虐的だと批判されそうですが、彼らは決して好んで自虐的な境遇に身を置いたわけでも狂っていたわけでもありません。


十分自覚しながら、その道をまっとうしたのです。


それは断じてスピリチュアルな道を生きると決め、世俗の紆余曲折にとんちゃくせず、抗がわず、淡々と道を踏んでいったからだと思えるのです。


自分の人生をあれこれ操作しようとしなくなることは精神の進化のよい目安となります。


それをやめることでわたしたちはまわりとのつながりが見えるようになるのです。


結局そのつながりは初めから存在していたもの。


今まではただ気づかなかっただけなのです。


わたしたちも人生を手放すと、危険は増すのではなくむしろ減るのです。

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         <pubDate>Sat, 26 Mar 2011 18:15:54 +0900</pubDate>
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         <title>個人的闘いを捨てる　2</title>
         <description>意味はあなたの心が意思するところにあります。


自覚できないほど深い心の奥から流れ出す選択の根・・・。


それがもし、命の一体感を求めているのなら、あなたの言動はそれに基づいたものに自然となっていくはずです。


一体感への願いがより強くなれば、まわりの人たち、特に親近者とのあいだに感じられるつながりもより深くなっていくでしょう。


人の痛みが我がことのように感じられるとき、そこには分け隔てなく愛情をもって接する以外の選択肢はなくなってしまうのです。


子供に対して骨身を惜しまず捧げる親も、どうしてこんなにできてしまうのか、甘やかし過ぎているのではと反省しつつ、自然とわき出る愛情は押さえることのほうが苦痛だと感じるものなのです。


こうした態度を現代社会における個別志向、分裂志向は危険だ、病気だ、と批判するでしょう。


それでも他の人と自分とのあいだに隔たりを見ない心にとって、その人に最もかなうように自ら動いてしまうのは当たり前なのです。


しかし、傍から見ているだけの人には決してそれはわからないでしょうね。


スピリチュアルな道を堅実に歩んでいくと、だんだんと納得できるようになったことがあります。

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         <pubDate>Sun, 06 Feb 2011 18:15:16 +0900</pubDate>
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         <title>個人的闘いを捨てる</title>
         <description>人のアラ探しをして何に対しても批判的な考えというのはベタベタしていて重たい感じ。


逆に人をまるごととらえる見方というのはサラーッとしていて軽やかに動く感じです。


ひらかれた精神というのは&quot;べからず集&quot;を持ち歩きません。


その肌ざわりはなめらかで、その目標はとにかく目の前に現われたことに楽にまるごとであたる、ということです。


わたしたちは言うことなすこと、自ら選んでいることは間違いありません。


が、内的成長に伴ってこの選択ももちろん変化していきます。


ある時期に自ら下した決定。


そこにもう一度戻れたとしても、中身のレベルが同じであれば、きっと同じ選択同じ決定をすることでしょう。


目覚ましを止めたまま布団にもどろうか、何を着ようか、どこで食べようか……。


朝起きてから夜、寝るまでのあいだの無数の決定と選択。


今のあなたは大分自分を見る目が備わってきて、日々起きるさまざまな決定の瞬間が来ては去り、生まれては消えるのを余裕をもって眺めることさえ可能かもしれません。


いつでもこれとは違った選択ができたと思う一方で、世の中の混沌を知っているあなたは静かに見守っていれば次々と選択の瞬間が生まれては消えてゆくのも知っています。


さらにこれらの選択にあまり深い意味がないことにも気づいているはず。

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         <pubDate>Wed, 26 Jan 2011 18:14:19 +0900</pubDate>
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         <title>他人と比較しないこと</title>
         <description>何かを達成したとしても、すぐに新たな比較の対象が次々と現われるだけなのです。


&quot;よりいい車&quot;が欲しい、手に入れる。


しかし、それはいつまで&quot;よりいい車&quot;なのでしょう？


恋人でも、自分の肉体でも&quot;人よりもっと&quot;という状態は、一度手に入れてもいずれそうでなくなるのがこの世の定めなのです。


頭の柔軟性を欠くと、記憶にある怖れや渇望にとらわれ、わたしたちは過去の反応を繰り返し体験することになります。


また、人にしろ食べ物にしろ、好き嫌い、善い、悪いを決めてかかってしまえば今、目前にある事実、すべてを包み込む静かな一瞬を自ら遠ざけてしまうことになります。


頭は心への入り口。


そこから美しい楽園までの道が開けるか、詰まっているかは頭の使いようにかかっているといえるでしょう。


自分が考えることを怖れるには及びません。


なぜって、考えというのは自分の頭の産物だから、その方向性や中身はいつでも取り替え可能です。

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         <pubDate>Thu, 06 Jan 2011 18:13:25 +0900</pubDate>
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